トイ・ストーリー4はなぜ賛否両論なのか…モヤモヤポイントを挙げてみた[ネタバレ有り]

皆さんこんにちは。

私はトイ・ストーリー4を劇場で見てボロ泣きしました。なんならもう開始10分くらいでもう泣いてました。

最後まで見終わったときも「いい映画だったなぁ」という感想だったのですが、インターネットで調べてみると、思いのほか批評の声が多くてびっくりしましたよ。

どうしてこんなに賛否両論なのかを自分なりにまとめてみました。

ネタバレを含みますので、まだご覧になっていない方は注意してください。

ボニー一家のウッディへの扱い

この意見は思い返してみると確かにそうだったなと感じました。

そのときはボニーを実の子供のように心配してあれこれ行動しているウッディを見て早くも泣いていたのであまり深くは考えられていませんでしたが。

3の最後にボニーはアンディからウッディを大切にしてくれと言われ、ボニーは了承しますが、どちらかといえば大切にされているのはジェシーであり、ほったらかしにされているのは許せないという意見ももっともだと思います。

しかし大人になった今だからこそ色々言えますが、ボニーはまだ幼稚園にもお試しで通う子供です。

ウッディを嫌いになったわけではなく、ただ関心がなくなっただけなのでしょう。

興味があるものにはひたすら執着し、そうでないものにはとことん無頓着であるという

子供の残酷さが現れています。これは後に出てくるハーモニーにも同じことが言えます。

好きの反対は無関心と言いますが、子供はこれを無意識に実行しているのでしょうね。

この人間のおもちゃへの扱い方が、作品の最後のシーンにも繋がっているのだと思います。

お馴染みのキャラクターがあまり活躍しない

トイ・ストーリーといえば縦横無尽に駆け回るおもちゃたちが最大の魅力だと思います。

各々の特性をフルに使ってコミカルに窮地を乗り越えていくのが大好きです。

たしかに今作ではウッディやバズを除き、いつものレックスやポテトヘッドなどのメンバーはメインでは登場していません。

要所要所では出てきていますが、今までの作品を見ていた人たちからしたら物足りなく感じるのも仕方ないのかもしれません。

しかし肝心の場面ではしっかりと活躍はしているので、これに関しては個人の匙加減なのではないでしょうかね。ちょっとやり方が強引な気はしましたが。

バズライトイヤーの違和感

今作のバズライトイヤーの行動にもおかしいと感じるという意見もありました。

自分のおもちゃの音声に振り回されている場面がなんともこれまでのバズとは違って抜けているように見えるわけですね。

この行動について考えていく前に思い出していただきたい作中のセリフがあります。それは

「内なる声を聞け」というものです。

ウッディがバズにこの言葉を投げかけるのですが、彼は自身に内蔵されている録音音声をボタンを押して再生しその通りに行動していきます。

対してウッディはバズと同じく録音音声を持っていますがそれを使うことはありません。

ここにウッディとバズとの対比が生まれています。

バズは自らのおもちゃの声に、ウッディは内なる声にそれぞれ従っているのです。

とはいえ、バズも内なる声が聞こえて欲しかったというのは映画を見ている時にも感じました。

クライマックスのここぞというときにもバズは自分のおもちゃとしての声を聞くのですが、そこでもおもちゃから出る声の通りに行動していて「あっ、そのまま従っちゃうんだな」って思いましたもん。

ウッディとの対比をさせたかったためにそうなったのだとは思いますが、この部分に関しては自分も釈然としませんでした。

これでバズもウッディと同じく内なる声が聴けるようになって、そのうえでラストに自分の意思でおもちゃとして生きるということを選ぶという感じならば良かったのかもしれません。

おもちゃの役割を放棄しているのはどうなのか

物語のラストで、ウッディはこれまでの仲間の元を離れて自由になることを選びます。

ラストが受け入れられないという人の意見として、ウッディが子供や仲間の元から離れてしまうという選択をしたことに納得できないというものがあります。

確かにこの行動は、持ち主や仲間のために全力を尽くしてきた今までのウッディからは予想できないことです。

これについて映画を見て私は「ウッディはもう子供のためのおもちゃではなくなった」のではないかと考えました。

物語の終盤にウッディはギャビーギャビーに自身のボイスボックスを差し出してしまいます。

自分のおもちゃとしてとても重要な部分を無くしてしまうわけです。

このボイスボックスは、「内なる声」とは対称の存在となる「おもちゃの声」とでも言えば良いのでしょうか。

バズが内なる声だと思って聞いていたのもこのおもちゃの声だと考えられます。

子供とコミュニケーションを取ることができる唯一のものであり、これをなくしてしまうということは、子供とのつながりをなくしてしまうに等しいことです。

もうウッディは子供のために存在するおもちゃではなくなったということをボイスボックスを取り除くことによって表現したのでしょう。

仲間のもとを去るときも、最後まで悩むウッディをバズが「ボニーは大丈夫だ」と背中を押します。

あの別れも、長年一緒にいたウッディの幸せを尊重した結果なのだと思います。

まとめ

トイ・ストーリーはおもちゃたちが力を合わせ、ウッディがリーダーとしてみんなを引っ張って一緒に困難を乗り越えていくあのストーリーが最大の見所です。

だからこそ、これまでのような作風を期待して見た人たちは見たかったものとは異なる展開に満足することができなかったのでしょう。

前作のトイ・ストーリー3は、本当に最高の終わり方でした。だからこそ、もうあれ以上のおもちゃの物語は作れなかったのではないでしょうか。

今回は運良く次の子供に引き取られたウッディたちですが、ボニーが成長したときに、また同じ展開を迎えるのは分かりきっているのです。ウッディは既にそうなりつつあります。

自分の居場所を見つけるために、子供に寄り添うことをやめることで新たな幸せの可能性を示したのが今作なんじゃないかと思います。

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