みなさんこんにちは。
宗教紹介シリーズ、今回はキリスト教です。
クリスマスやバレンタインなど私たちにとてもなじみの深い宗教ですよね。
世界で約20億人がキリスト教徒とされ、世界で最も信者が多いです。
今回はそんなキリスト教の紹介をざっくりします。
キリスト教の始まり
キリスト教は今から約2000年前にユダヤ教から派生した一神教の宗教です。
ユダヤ教は厳しい律法を守ることで神との契約を果たし、それによって後に現れるであろう救世主を待望するというものでしたが、段々と儀式や形式ばかりが重んじられるようになり、神への信仰が形骸化していったといいます。
それに当時のユダヤ教のイエスという人物が異を唱え、厳しい律法を守る必要はなく、神への信心があれば救われるのだといい、身近な人々に対する愛(隣人愛)を大切にするよう説きました。
そうした隣人愛を実践し、死後キリストの審判を受けて天国に向かうのがキリスト教のシステムです。
信仰対象
キリスト教の信仰対象は救世主であるイエス・キリストです。
ですがここで1つ問題が生じます。
これは、ユダヤ教が守るモーセの十戒にある「偶像崇拝の禁止」に反してしまうのです。
物や人間を神とみなして拝んではいけないので、イエスもこれに当てはまってしまいます。
キリスト教も一神教で十戒を取り入れているのでこの問題を無視することはできません。
ではどうするか? この問題を解決するため三位一体という概念が生まれました。
三位一体とは
ざっくりと説明すれば、子なる神イエスと天地創造の神と聖霊なる神という3つの神があり
これらはそれぞれ異なるもので、合わさることで1つの神になるという考え方です。
聖霊なる神ってなんだ?と思われるでしょうが、これは今現在の信者の心にはたらきかける神です。
……ええ、意味不明だと思います。
三位一体が難解なのはキリスト教会においても前提になっていて、「考えるな、感じろ」というスタンスです。
キリスト教の特徴的思想
ここからキリスト教の特徴的な思想を見ていきましょう。
隣人愛
前述した通り、キリスト教が派生元であるユダヤ教と違う点として隣人愛が挙げられます。
神は無限の愛(アガペー)をもって人間を愛しているのだからあなたも同じように家族や友人、他の人を愛しましょうといった意味合いです。
聖書には以下のような文で記されています。
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
これらは主体的な愛について説明しています。
こうした一文の他に、イエスの教えには発想の転換が多くあります。
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
普通、貧しい人は不幸です。しかしこの文では、ただの貧乏ではなく霊的(心の)貧乏に言及しています。
心の貧乏とは何か。これは物質的ではなく精神的に貧困なことであり、誰にも助けてもらえず空虚な状態のことをいいます。
同じ貧乏でも楽しく日々を過ごしている人をたまにテレビなどで見かけますが、そういう人たちは心が貧乏ではないからでしょう。
貧乏で苦しいのは、物質的な原因ではなく、心が貧乏であることが原因だと自覚することが大切なのだといい、そうして神の力だけを頼りにする人に天の国はあるという意味です。
貧乏の種類について教えてくれる良い一文だと思います。
右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい。
これも有名な一文です。この意味するところは、なすがままというわけではなく、むしろ闘いを挑めということです。
実際にイメージすると分かるのですが、右利きの人が相手の右頬を殴ろうとすると、どうしたって裏拳になります。
昔は主人が奴隷を殴るときは手が「汚れない」ように裏拳で殴っていたといいます。
そうして裏拳で右頬を殴られた奴隷が今度は左頬を差し出すとどうなるか。
裏拳では難しいので、手のひらで殴らざるをえなくなる。そうすると、手は「汚れて」しまい、主人は奴隷と「対等」になってしまう。これが目的だというのです。
平和的に闘い、敵意を無に帰し、敵をも愛する。これが真意です。
偽善者にはならない
イエスは律法を守ることばかりを重要視した派閥を嫌っていたので、偽善者に対しては明確に非難していました。
ルールにばかりとらわれて正義や慈悲など人の心を蔑ろにする。
外見はきれいだが、中身は強欲や悪意に満ちている。
見せかけの長い祈りをする。
重荷を人に負わせて自分では負わない。
改宗者を地獄の人間にする。
こういった人々を非難しました。書き出してみて思ったのですが、
今日ブラック企業ともてはやされる会社を想起させますね。
まとめ
キリスト教にはこうした愛や日常生活に応用できる教えがたくさんあります。
宗教ということを抜きにして聖書を読んでみるのも面白いかもしれません。
生きるうえで自分の芯になるような考え方が見つかるかもしれませんよ。