皆さんこんにちは。
皆さんは、日々を過ごしていくなかで「退屈だなぁ」と感じた経験がありますか?
恐らくほとんどの方がそう感じたことがあるのではないかと思います。
では、なぜ退屈に感じているのか。
それ自身について深く考えてみたことはあるでしょうか?
今回紹介する「暇と退屈の倫理学」は、人間が常日頃感じている暇や退屈だという体験にスポットを当ててその理由や本当の原因を解析し、どうしたらそんな退屈さから抜け出すことができるのかを考えた本です。
そもそも退屈とはなんなのか
退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。
バートランド・ラッセル
人は、今日を昨日とは違う1日にしたいと思っています。
そのため、何かしらの事件が身の回りで起こることを心の中で望んでおり、何も起こらないときに退屈を感じるというのです。
私も小中学校時代に、いきなりテロリストが学校に攻めてくるという妄想をバカの一つ覚えのように度々していたのでとても共感しました。
そしてこれを読んだとき、私は真っ先にYouTuberの方たちが頭に浮かびました。
事件なんてものは望んだところで滅多に身の回りで起こるものではありません。
そんな事件をYouTuberの人たちは毎日起こしているのです。
そして私たちの今日を昨日とは違うものへ区別してくれる……YouTuberが人気な理由はここにあるのかなと感じました。
定住生活を始めたことによって人は退屈し始めた
この本には、人間はいつから退屈し始めたのかということも記述されており、
その起源は約一万年前に遊動生活から定住生活に移行したことによって引き起こされたからとされています。
今までは頻繁に場所を移動していたため、新しい場所にその都度適応しなければいけなかったのですが、そういった刺激があったため退屈とは無縁でした。
しかし定住生活によりそういった刺激がなくなり、同じ景色を見ることに飽きた人類はどうしたか、そう……退屈し始めたのです。
退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである。
そして実用性とはかけ離れた土器を作ってみたり、勾玉などの装飾品に凝ってみたり……
そして人類は退屈を埋めるため文明を築き上げ現在に至るというわけだそうです。
退屈ってすげぇ……
素直にそう思いました。
人は自由から逃れるためには奴隷にもなる
これも読んでいて面白いと思ったポイントです。退屈と自由という一見反対に思える事柄が実は一緒だといっています。
私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。退屈するということは、自由であるということだ。
要はなにもせずにいることに人は耐えられないのです。
退屈から解放されるためだったら人は自ら進んでやりたくもない仕事の奴隷になります。
手持ち無沙汰で退屈している状態のことをいう慣用句に畳の目を読むというのがありますね。
そんなことせずにじっとしていればいいのに……でもそれはできません。
なにもしないくらいだったら畳の目を読む仕事をしていた方がまだマシなのです。
それほどまでに退屈というのは経験したくはないものなのですね。
私も昔、周りになにもない駅で1時間近くバスを待ち続けなければならなくなったとき、
1時間を1秒ずつ3600カウント数えて時間を潰そうとした経験があるのでこの言葉はすごく響きました。
まとめ 退屈の本質と向き合い方
この本のラストには、暇や退屈とどう向き合っていけばいいのかという問いについての結論が書いてあります。
これを読めば、自分が何に退屈しているのか、本当はどうなりたいのかなどの解決の糸口が見つかるかもしれません。
「なんか分からないけれど退屈だな」
そう感じているすべての人に是非読んでいただきたい本です。