皆さんこんにちは。
皆さんはニーチェという人物を知っていますか?
有名な哲学者で、”ルサンチマン”や”超人思想”など独特の思想を展開し、哲学者のなかでも異端な存在とされています。
そんなニーチェの考え方から、我々がどう生きていくかのヒントを見つけ出していこうと思います。
世界は意味がなく無価値である
ニーチェの有名な思想としてニヒリズムがあります。この世界ひいては人間の存在には意義や目的、本質的な価値はないという考え方です。これだけだと絶望感満載ですが、そうではないということを説明していきます。
その前に、皆さんは遠近法をご存知ですか?
普通、遠近法といえば、絵を書くときの技法として用いられます。奥行を表現するために遠くのものは小さく、近くのものは大きく描くというあれです。その遠近法が人間の考え方にもあるとニーチェはいいました。
例えば、エゴイストは自分の利益ばかりに関心のある人はそればかりを大きく感じ、逆に利益と関係ないことは重要でない小さなことだと感じていると説明できます。
これは生きている人間すべてが持っている考え方です。どんな人間でも自分にとって大切なものとそうではないものが存在し、それらをその時々に判断しながら日々を生きています。エゴイストと変わりはありません。
この自分なりの価値観があるからこそ人は自分の価値や行動を意味あるものとして生きていけるのです。ニーチェは遠近法を人間の「生の根本条件」としました。
人によって見方は様々であり、知識や情念によっても見るものは変わります。
よって、この世界に誰もが同じように見える真理などというものはどこにもありえないし、世界に断定できる価値はないのです。
ニヒリズムとは絶望などでは決してなく、あなたが世界に意味を与えることができるのだということを気づかせるためのものであると言えます。
キリスト教は天国に救いを求めて現世を疎かにしている
ニーチェはキリスト教を批判した人物としても知られています。なぜ彼はキリスト教を批判したのか、それはキリスト教は屈折した見方をした道徳をもっているからだと彼は言います。
弱い者が強いものを恨んでいるのだと彼は言ったのです。これをルサンチマンといいます。
「汝の敵を愛せよ」や「弱くて貧しいこそが善」といった価値観がそうです。
そして、現世を否定し天国に憧れる姿勢を嫌悪しました。今生きているこの世界を肯定して全力で生きるべきだとニーチェは考えていたのです。
神は死んだ
ニーチェのもっとも有名なフレーズです。これは一体どういう意味なのでしょうか。
ここでいう神とは、キリスト教の神などではなく、象徴的な表現です。
倫理や世間一般に浸透した道徳、規範などを言い換えたものが神と言われています。
これが死んだということなので、意味としては、決まりきったルールと思えるものを疑えといったところでしょうか。
絶対的なものなどないと信じていたニーチェの思想を体現した言葉です。
超人思想
ニーチェは人は超人になる必要があると言いました。ここでいう超人とは人ならざるものということではありません。
世間にある縛りや道徳、善悪などの価値観すべてを自分で創造しながら生きていく人を超人と呼んだのです。
全ての事象を他人の遠近法ではなく自分の見方で捉え、判断し失敗を恐れず、後悔もせずただ自分のありのままの人生を受け入れる度量を持って生きる。
そうすれば永劫回帰と呼ばれる全く同じ人生をひたすら繰り返すことが確立されたとしてもその人生を肯定することができるとニーチェは考えたのです。
力への意志
人は誰しも老い、衰弱します。ニーチェは生きることについて次のように言っています。
生きるとは何か。生きるとは、死のうとする何ものかを絶えず自分から突き放すこと、だ。
死や衰えに向かわず、力を絶えず増大させていくことが生の本質だと述べているのです。
このとき、底なしの能動性の意志……より強く、激しく、豊かになろうとする意志。これを力への意志と呼びます。
この力への意志が満ち満ちた状態の人が超人なのです。
よりよく生きるためには
ニーチェは生きることを芸術と見なしていました。そんなニーチェの考えは以下のようなものではないかと思います。
いつの間にか始まってしまったこの人生を肯定する。
自分でルールを決め、自分でその責任を取る徹底した自分主義を貫く。
固定観念を常に疑い続ける。
失敗を恐れず、後悔もせずただ前だけを向いて生きる。
他人の意見を鵜呑みにして他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きる。
ニヒリズムなどから、陰鬱とした印象を与えるニーチェですが、その考え方はひたすら生に向かって真っ直ぐなものです。
もちろんこの思想も自分のなかでよく考えていく必要があります。
そして自分なりの考えを見つけていくことが大切であるといえるでしょう。